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昨晩、
世界わが心の旅アンコール 「ロシア 建築と初恋に燃えた日々 黒川紀章」 を見た。 このタイミング。追悼番組? 番組に気が付いたときには始まっていて、途中から。 7年前の映像らしい。 1958年、黒川紀章は世界建築学生会議に日本代表として出席すべく、 ソビエト連邦のレニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルグ)を訪れた。 ロシア・アバンギャルドに傾倒していて、 コンスタンティン・メーリニコフの建築が見たかった黒川青年。 しかし、アバンギャルドの建築家は当局から弾圧を受けていて、 視察はかなわなかった。 ただ、この旅で見た住宅のプレハブ工場の強い印象が、 その後の、カプセルタワーへとつながって行った、と、 番組で黒川紀章は述懐する。 建築を志す、同世代の青年たちとの邂逅。 42年ぶりの再訪。 当時、親しくなった一人を訪ねる。 ソ連では、建築家として立っていくことが難しく、彼は、博物館の レイアウトの仕事に身を転じていた。 58年。黒川青年は、会議で通訳を務めた 一人の女性に恋心を抱いた。 その女性の連絡先がわかり、自宅を訪ねて行く。 女性はセルビア人男性と結婚したものの、10年後に離婚。 今は一人でアパートメントに暮らしている。 ピアノの上の写真立て。 黒川と二人で映った褪色した写真。 「この写真・・・!これと同じ写真をずっと持っていますよ。」 ・・と黒川紀章。 「この曲を覚えていますか?」 「僕が覚えているのは・・・二人で川のほとりを歩いていて・・」 「ああ!それはこの曲ね!」 「・・あのあと、何度も手紙を書いた。・・でも返事は来なかった。 レニングラードの友人に宛てて手紙を書きましたよ。貴女の消息を知らせて欲しい、って。」 「ノリアキ・・・あの当時は、手紙に返事を書くのはたいへん難しいことだったの。 ・・あなたは知らないかもしれないけど・・・。」 (※旧ソ連では、外国人との交際は厳しく制限されていた。) その女性、イザさんは、年齢を重ねているにもかかわらず、 どこか乙女のような可憐さをのこした女性だった。 真冬の、グレイッシュな、ロシアの風景。 穏やかな口調。 モスクワの建築大学を訪ねると、 教室の学生たちが拍手で迎える。 彼らの手にある模型は、どれもが、どこか、 ロシア・アバンギャルドを感じさせるもので。 感慨深げな黒川氏。 黒川紀章、ってそれほど好きではなかった。 でも、番組のなかの黒川紀章は、決して、わるくなかった。 レニングラードは、彼にとって、思い出の地だったのだ。 サンクトペテルブルグのコンペ、 無念だっただろうな・・。 そして、イザさんは、彼の訃報をどう受け止めただろう。
by fracoco-Y
| 2007-10-15 20:00
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