本、建築、ときどき旅。
by fracoco-Y
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アスキボー
ウイスキーに目覚めた。
3月のこと。

法事で渡道の折、時間があったので、どこかへ行こうか、
と思ったのがことのはじまり。
子供の頃は繁く滞在したので、札幌市内はあらかた廻っている。
観光案内所で、北海道遺産、なるパンフレットを手に取り、

ーそういえば、余市へは行ったことがなかったな。
ということをふと思う。

それはそうだ。
余市といえば、ニッカウヰスキーの蒸留所。
子供には関係のないお話である。

ヴェルモットにアブサン、ワインにシャンパン、ウイスキー。
洋酒の言葉の響きには惹かれつつ、
ウイスキーといえば、若気の至りでその昔、
ジャックダニエルをあおって泥酔した記憶。
以来、何となく敬遠して今に至っていたのだ。

しかし・・・。
右目でウイスキーを敬遠しながら、左目では
ウイスキーに憧憬を覚えていたとも言える。

ウイスキーの語源はケルト語。
ケルトと聞けば、今でも耳の感度が上昇する。
あ、そういえば、いつかダブリンの街中で見たあれは確か
蒸留所。
銅で出来たたまねぎ形のスチルポットが目に浮かぶ。

昭和初期に建てられた施設群が今なお残り、
石積みの壁に赤い屋根が心を惹く。
小樽からバスを乗り継ぐこと30分。
まだ雪の残る余市に‘そこ’はあった。

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折角だから、と買い求めた蒸留所限定の樽出原酒。

これが素晴らしかった。

背中に火を吹き込まれるような。
舌触りは滑らかで、刺激的で、濃厚。
それをほんの少量、なめるように含む。
飲み終わったグラスに水を注ぐと、樽の香りが拡がる。

帰宅して調べ始めたウイスキーについて。

通常、ウイスキーは瓶詰めの際に樽同士を掛け合わせたり、
加水調整されたりするが、樽出原酒(カスクストレングス)とは
加水調整せず、唯一の樽から瓶詰めされたウイスキーのこと。
アルコール度数も高い。

シングルモルト:一つの蒸留所のモルトウイスキーのみによるウイスキー
ヴァッテド・モルト:複数の蒸留所のモルトウイスキーをヴァッティングしたもの。
ブレンデッド・ウイスキー:モルトウイスキーにグレンウイスキー(モルト以外の
             穀物を含むウイスキー)をブレンドしたウイスキー。

グレンドロナック、オーヘントッシャン、クライゲラヒ、
アバフェルディ、ノッカンドゥ・・・。
スコットランドのシングルモルトの名前はどれもケルト的だ。
言葉の響きに陶然とする。

森茉莉式に言えば、私はウイスキーを利き酒でもするように、
あるいは気分を飲んでいるのであって、
到底、ウイスキーを飲んでいる、とは言えないかもしれない。

でも。
このごろウイスキーに夢中。

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by fracoco-Y | 2009-04-23 23:33
武田百合子の世界
昨日、図書館で武田百合子を3冊借りる。
「遊覧日記」
「ことばの食卓」
「日々雑記」
すいすい読んでしまって、惜しくなる。
一昨日、犬が星見た、を読んだから、
あと、まだ私が読んでいない武田百合子は
「富士日記」くらい、なのだ。
う~、もっと読みたい。

娘と一緒に浅草花やしきに行ったり、
群馬のヘビセンターに行ったり(ちなみにそのヘビセンターは
各種のヘビが見られるだけでなく、ヘビのフルコースが食べられたりする。)
富士の山荘に出かけたり。
(山荘ではトイレが工事中で、余儀なく庭で用を足したら、
一部始終を見ていたネコの玉が、やってきて土をかけてくれた。)
昔のキャラメルや牛乳の思い出。

何気ない日常なのだけど。

武田百合子の眼差しを通してみると、
ガード下の500円のスキヤキも
オムレツ専門店のイマイチなオムレツも、
特別なものに思えてくる。

武田百合子+娘、花+三毛ネコの玉。
二人と一匹の生活。
母と娘のやりとりもいい。

物書きの母と写真家の娘。
共同の仕事で佐渡取材旅行。

何だかな、いいなぁ、って思う。
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by fracoco-Y | 2008-03-30 22:18
須賀敦子について
このひとの本を最初に読んだのがいつのことだったか、
もう思い出すことが出来ない。

印象が薄い、というのではなかった。
端正な、端正な日本語。
それは、美辞麗句を連ねた、という類のものではなく、あまりに控えめで
さりげなくて、染み入るようだったので、
かえっていつの間にか馴染んだという風で、
初めて読んだときがいつだったのか、思い出せないくらい自然に
私の中へ浸透していたのだった。

外国をモチーフにしたエッセイ、というのを私は好きだったし、
かといって誰が書いたものでも良いわけではなくて、
やはり好みがあるのだが、
須賀敦子のエッセイは、異邦人でありながら、異邦人の視点と、
イタリアに深く分け入った生活者の視点とが、
行間から等しく感じられるのだった。

生身の著者を知る人によると、控えめな文章からは想像がつかないが、
なかなかやんちゃなところのあるひとだったようである。
‘女だてらに’真っ赤なvolvoを駈っていたことを、
どの本だったか、解説の中で認めた。
(たぶん、イタリア国内でのことと思うが、前の車がもたもたしていると、
イタリア語の罵声が飛んだらしい。)

そうかもしれない。
聖心女子大を出たのち(1期生。ちなみに緒方貞子氏も同期。)
両親を説得してフランスへ留学。
さらにイタリアへ留学の後、ミラノの書店勤務。
書店の同僚であったジュゼッペと結婚。夫と協力して、漱石や鴎外、
鏡花や谷崎をイタリア語訳。
しかし、夫は5年半の結婚生活の後、他界。

やがて帰国。
慶応や上智でイタリア語やイタリア文学の授業を受け持つようになる。
後に助教授を経て、上智大学教授。
ウンベルト・サバ、アントニオ・タブッキを日本語訳。

初等教育から聖心学院に通っていたことや、
のちの上智大学教授という肩書きだけ見ていると
見逃してしまうが、夫と死別した後は、どう生活を立てていくか、
頭を悩ませた時期もあったらしい。

1991年、ミラノ、霧の風景が女流文学賞を受賞。
1998年、3月20日、逝去。
だから、須賀敦子の作家としての活動は僅か、十年足らずなのだ。

最近、須賀敦子を読んでいて。
「ヴェネツィアの宿」「遠い朝の本たち」
以前は気がつかなかったが、通奏低音のようにそっと、
カトリックの倫理観が根ざしていることを知った。

咄嗟に、やはり昨年の、ちょうど今頃熟読した犬養道子を連想したのだが、
ヨーロッパで長年生きていくということは、
特に、何らかの精神的な糧を得て生きていこうとすることは、
そうした核を必要とするのかも知れない。

今日で、須賀敦子が亡くなってちょうど10年になる。

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by fracoco-Y | 2008-03-20 22:22
メディア・リテラシー
私の幼少時代の三大事件といえば、
ホテル・ニュージャパン火災、日航機墜落事故、
そして、ロス疑惑だった。

ロス疑惑。
長身で、派手で、ちょっととっぽい感じの三浦氏、
舞台がアメリカ西海岸、ということも相俟って
適切な表現かどうか判らないが、
私の中では、どこか、その後のバブルの時代を連想させるような
イメージの事件であったように感じられた。

2003年に最高裁で無罪判決の出たロス銃撃事件。

その事件の被告であった三浦和義氏が渡航先のサイパンで
身柄を拘束されたという。
今頃?と、ひどく、びっくりした。

当時、事件の渦中にあった三浦氏は、
限りなく黒に近い灰色の人物として私の目に映っていたし、
また、多くの人の目に、同様に映っていたであろうことが
ネットの記事などから散見される。
それ故、控訴審、上告審の無罪判決には少なからず
意外な印象を受けたものだった。

一方で、氏が、複数の報道機関を相手取って
名誉毀損の民事訴訟を起こし(約500件)、
その半数以上に勝訴し、総額5000万円以上ともいわれる賠償金を
獲得したことも知り、当時の報道が常軌を逸した過熱報道であり、
まだ犯人とも決まっていない人物への
人権侵害を甚だしく行っていたらしいことも知った。
(三浦氏宛ての封書を勝手に開封する、
氏の怒った表情を撮影するために、
一緒に買い物に出た子を突き飛ばす、など)

思えば、子供の私が三浦氏を「かぎりなくあやしい」と思ったのは
メディアによって得た情報をもとに抱いたイメージである。
直接三浦氏に会って話をしたわけでもなければ、
裁判を傍聴したわけでもない。
(そしてメディアの横暴を想起させるネットの記事もまたメディアではある)

メディアの報道によって、この人こそ犯人では、と思われた人物が
実際には犯人ではなかった、という例は、
最近では香川県の祖母と孫が殺害された事件であったし、
遡れば松本サリン事件もそうであった。

メディア・リテラシー、という言葉がある。
日本語に訳すれば、「メディアを読み解く能力」というところか。

私の「イメージ」は正しいのだろうか。

そんな折、ネットに以下のような記事を見つけた。

(ロス疑惑の過熱報道当時三浦氏が)
深夜番組の「トゥナイト」で
評論家の田原総一郎と論争した際、田原は
「メディアが独自に調査して犯罪者だという疑惑を報道する自由がある」
と発言。これに対して三浦は
「それは自由だが、もし犯人ではないと分かったら責任を取って欲しい。
報道される側は生活が破壊されるのに、
メディアは何のリスクも負わないのは不公平だ」と反論している。
(「ロス保険疑惑事件(事件史探求)より抜粋」)


これは三浦氏の言うとおりで、
もし、田原氏が実際にそう発言したのだとすれば、
犯罪者であるという疑惑が間違っていた場合の
メディアの責任の取り方についてはっきり言及しない限り、
不遜だろうと思う。

各報道機関が、長野の河野氏や、香川の山下氏に
手をついて詫びを言ったという話は聞かないし、
あの報道は誤りでした、という訂正もついぞ見なかった。

ロス疑惑で、三浦氏が犯人なのかどうか、私には計り知れない。
しかし、メディア・リテラシーの必要性はあらためて感じるのである。
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by fracoco-Y | 2008-02-25 23:52