本、建築、ときどき旅。
by fracoco-Y
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カテゴリ:architecture( 4 )
今井兼次展
二日続けて建築展へ。
多摩美術大学の付属美術館にて、今井兼次展。

早稲田大学や多摩美術大学で教鞭を執った
プロフェッサー・アーキテクトであり、
ガウディやルドルフ・シュタイナー(教育でも知られる)の建築を
いち早く日本に紹介した人物でもあった。

大学の卒業設計から展示は始まる。

建築展を見る度に思うのは、(図面上手いなぁ)ということ。

今井兼次の卒業設計は、アール・デコの影響を感じさせるものだった。

名前は知っているけど、何を設計したのかは、実はあまり知らない。
私にとって、今井兼次とはそういう建築家だった。

展示を見ると、グンナール・アスプルンドのような、
北欧の建築家の影響を受けたらしい。

実現には至らなかった、広島の商工会議所の建築案を見て。
48枚の図面は、すぐにでも工事にかかれそうなほど。
惜しくも、何らかの理由で計画が頓挫したのだろう。
実現したものももちろんあって、早稲田大学図書館や、
浅草ー上野の地下鉄駅。
教職にあった早稲田大学からは、派遣されて欧州を熱心に視察している。
パリでは40代のコルビュジェに会い、インタビューを試み。
また、東京での地下鉄の設計がすでに決まっていたものか、
ベルリンでは、地下鉄を詳細に見て回り、三冊のスケッチを残している。

どちらかというと遅咲きの建築家で、
広島の日本26聖人殉教記念館などは、70歳を越えての作品。
作風は同時代のモダニズムの流れとは一線を画す。

92歳の長寿。
長生きもまた、才能のうち、と
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by fracoco-Y | 2007-10-15 12:03 | architecture
ヴァヴァン通りのアパルトマン
図書館で借りてきた
「パリの秘密」(鹿島茂著、中央公論新社刊)が面白い。

東京新聞の夕刊に、三年間にわたって連載されたコラムを
一冊にまとめたもの。
ページを開けば、昔、セーヌ河岸に水泳学校があった話、
とかメートル標準器のありか、とか。それに、パッサージュの話。
かつてのレストランが居抜きでビリヤード場になった話もあった。

知っているようで、知らないパリの話の数々。

それはそうだ。私がパリに滞在した延べ日数は12日足らずなのだ。
その中で、あ、これは見た、という話がひとつ。

ヴァヴァン通りのアパルトマン。
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昨年、私たちが投宿したこじんまりのホテル、
アトリエ・モンパルナスのある同じ通りに
そのアパルトマンはあった。

パリには珍しい白いタイルの外壁。部分的にブルーのタイルが
白、青、白、青・・とかわりがわりに貼られている。

ファサードは、これまたパリには珍しく、階段状に、
上階に行くほどセットバックして、引っ込んでいる。

そのベランダから顔をのぞかせる植物たち。グリーンが清清しい。

きれいに保たれていて、シックで、近年の建築かと思うほどだが、
このアパルトマン、アンリ・ソヴァージュとシャルル・サラザンという
二人の建築家が、1912年に建築を申請した建物なのだ。

用いられている白いタイルは、汚れ防止のためにエッジが
斜めに切り取られていて、地下鉄に使われているものと
同じタイプのものだという。

それにしても、築90年以上とは信じがたい。

ヴァヴァン通りのアパルトマンは、通りに馴染み、
かつ、人目を引いている。
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by fracoco-Y | 2007-02-17 22:53 | architecture
E・G・アスプルンド展
人はどこから来て、どこへ行くのか。

昔、すべての哲学のスタートラインにあるような命題に
かたちを与えようとした人がいた。

スウェーデンの建築家、エリック・グンナー・アスプルンド 。
55年という、決して長くはない生涯の、実に25年の歳月を
ストックホルムの森の墓地と礼拝堂、火葬場の建築に
心を砕いて過ごした。

人は死ぬと、森に還る。

スウェーデンの人々にはこんな死生観があるらしい。
今から100年ほど前、ストックホルムの人口増による墓地の不足を
解消するため、森に墓地をつくる設計コンペが開かれた。
選ばれたのは、若きアスプルンドとその友人の案。

森をそのまま残し、その中に、墓地や礼拝堂を溶け込ませるプランだった。

1994年に森の墓地・森の礼拝堂は世界遺産に登録され、過日TVの
「世界遺産」でも紹介されていたが、汐留でアスプルンド展が
開催されていて(2006年2月11日~4月16日@松下電工ミュージアム)
見に出掛けた。

まだ学生だった頃、父方の祖母が亡くなった。
火葬場は比較的新しい建物だったが、炉がホールに面して
横一列に並んでいた。
炉の正面には故人の遺影を掲げるようになっていて、
私たち以外にも、何件かお弔いがあるらしかったが、
その中に、まだ幼い子の遺影があるのに気がついた。

こんなに幼くして・・と胸を衝かれた。
同時に見てはいけないものを見てしまったような気がして、
私はそっと、その場から離れた。

横一列に並んだ炉というのも、どこか冷たい感じがして、
火葬に、何かむごいようなイメージを抱いてしまった。

森の礼拝堂では、遺族の心情により添うような、きめ細かな配慮がされている。
別のお弔いの遺族と顔を合わせないように。
待合室から礼拝堂に入る前、ふと外の風景に目を転じられるように。
家具や建物の細部には尖ったところがないように。

アスプルンド自身、この計画に携わっている間に、
最初の子を幼くして喪うという不幸に見舞われていた。

今日は私、明日はあなた。アスプルンドが森の墓地の
オベリスク(実現せず)に刻もうとした言葉である。
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アスプルンド展でもうひとつ、とりわけ印象に残ったのが、
彼の別荘である夏の家だった。
湖畔に佇む簡素な住宅で、見たところは、
建築家の作品というよりも、慎ましやかな木造家屋、といった
風情である。

しかしながら写真や映像で見るリビングの様子は、
漆喰で塗りこめた暖炉、ソファの横には湖を望むピクチャーウィンドウ。
造り付けの机とそれに面したいくつかの窓。
テラスへ上る煉瓦を敷き詰めた階段・・・
どこまでも暖かな、親密な空間が拡がっていて、
ずっと眺めているうちに、あたかも、自分がそこで寛いでいるような
感じを覚えた。
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建築は本来、それが建っている土地、風土、気候といったものと
不可分だから、本当は実際にそこへ行ってみるのが一番いいと思う。

この展覧会は、建築の建っている周辺の佇まいの紹介も怠りなく、
映像や写真を多用していて、その建築のもつ、ある雰囲気を伝えていた。

(上掲写真:アスプルンド展図録より)
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by fracoco-Y | 2006-03-12 04:10 | architecture
My Architect 建築家、ルイス・カーン
ルイス・カーンという建築家がいた。

今から30年も前に、インドからの帰途、NYの地下鉄駅で行き倒れて亡くなった。
遺されたのは、数々の美術館や研究所、「沈黙と光」という言葉、幾許かの負債。

そして3つの「家族」。

カーンの子息は当時11歳。長じて、父を探す旅に出、一篇の映画を撮った。

ルイス・カーンの息子の撮った映画を渋谷で上映していると聞いて、
見に出掛けた。

ナサニエル・カーンは、父と暮らしたことがない。
週に一度、父は家を訪れ、夜には母が車で送っていったという。
思い出は、父と二人で「舟の本」を作ったこと。

父を知るために、ナサニエルは縁の人たちを訪ね歩き、言葉をかわす。
母の違う姉たち。カーンの死の第一発見者。カーンに敬意を表する建築家。
ユダヤ教の祭司である父の親戚。設計事務所の元所員。

そうして出来たのが、映画「マイ・アーキテクト」。

ある人曰く「カーンはユダヤ人だったから、建築を神の創造物として捉えていた。」
だから、決して妥協できなかったのだ、と。

晩年、カーンはバングラディシュに国会議事堂を設計した。
担当の所員はバングラディシュ人で、ナサニエルに向かって
「彼は世界で最も貧しい国に、こんなにも立派な建築を遺してくれた。」と
声を詰まらせた。

そして、
「ルイス・カーンは偉きな人物だったが故に、身内にだけ愛情を注ぐ
生き方はできなかったのだ。愛情がなかったのではなく、
建築を以て万人に愛情を与えたのだ、」と。

水辺で威容を誇る国会議事堂。
いつかダッカへ行ってみたいと思う。

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by fracoco-Y | 2006-03-11 03:59 | architecture