本、建築、ときどき旅。
by fracoco-Y
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見たい展覧会
電車の吊広告にアンドリュー・ワイエス展の案内が出ている。

中学の頃、美術の教科書にワイエスの絵が載っていて、
昼下がりの農場に牛が佇むところが描かれていたのだが、
何だか静かな写真のようだった。

そういえば、昨日のハンマースホイの絵にも、写真的なところがあって、
彼は広いキャンバスに絵を描いたあと、
それをトリミングしたりしていたらしい。

で、ワイエスの絵にも私は、晩秋から冬にかけての空気を感じる。
この二人の絵が似ている…というのではないが、
どこか通じる空気を感じていて、

どちらも、人が、立ち去った後のような気配が漂う。

気持ちのよいさびしさと清潔さと、ほの温かさ。

ワイエス展はBunkamuraで23日まで。
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by fracoco-Y | 2008-12-08 09:29 | art
ハンマースホイ
上野の西洋美術館で、展覧会を見た。

ハンマースホイ、という不思議な名前の画家の絵画展である。

ハンマースホイのホイ、というのは何かの掛け声かしら?
などとあらぬことを思う。

つい最近まで私はこの画家の名前さえ知らなくて、
先日tvで知った。

誰もいない室内の風景を描いていて、よく見ると閉ざされたドアには取手がない。
妙な絵なのだった。
すごーく正確に描写されているようで、思いがけないところがデフォルメされている。

ハンマースホイの世界は、私が小学校に通っていた頃の冬の日曜午後3時を彷彿とさせる。

曇天だけど、冬にしてはそれほど寒くないある日。
休日はもうじき終わってしまう。
でもまだしばらくは日曜日。
という不安と安堵がないまぜになった感じ。
デンマークのコペンハーゲン出身で、
ひたすら自分の身近な題材を描いた画家。

でも、私小説的ではなくて、どこか突き放したような、清潔で、潔癖で
夏目漱石風に言えば、「非人情」な感じがする。
それでいてほの温かい。

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by fracoco-Y | 2008-12-07 17:33 | art
ピピロッティ・リスト展
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からから、という名前の展覧会。

ええと、今を遡ること8年前、
東京都現代美術館で、彼女の作品を初めて見た。

水色シフォンのワンピースに赤いハイヒールで
顔には笑みを浮かべ、足取りも軽やかな女性が、
手には棒を持ち、路地を歩いている。
そして突如、にっこり笑ったまま、手に持った棒を振りかざして、
路上に停まっていたクルマの窓硝子を叩き割るのだ。

その印象が強烈だったので、
作品と共に、ピピロッティ・リストの名前が脳裏に焼き付いた。

ピピロッティ・リスト、日本初の個展@原美術館。

床板に開いた2センチほどの穴から見える、映像作品。
燃え盛る焔を背にして裸の女性が何事か訴えかけている。
(女性は実はリスト自身)

「膝ランプ」、という作品。
一台のランプとひとつの椅子。
椅子の座面に映像が投影されている。
その椅子に座ってみると、膝の上に映像が映るのだった。
日が当たって透き通る葉の葉脈や、茸の映像が膝の上に落ちるのを、
不思議な気分で眺める。

すると二、三の人が集まってきて、私の膝の上を見る。
何だか、自分も作品の一部になったかのような気持ちになる。

「部屋」という名の作品。
モニターが一台と、巨大な赤いソファがふたつ。
ソファの座面は床から70cmくらいあるので、靴を脱いでよじ登る。
ソファの上にはこれまた巨大なリモコンが。
十数のチャンネルはすべてリストの映像作品。
ソファをよじ登る自分のぶざまな姿が可笑しくもあり。

あの硝子割り作品も。
それは、「Ever is Over All」というのだった。

女性が手に持っているのは棒ではなくて、花で。
(どこまでもフェミニンなのだ)

婦人警官が後ろからやってきて、彼女を追い越していくが
見咎めもせず、ただにこやかに挨拶をかわすだけだ。
彼女は路上に列ぶ車を一台一台、硝子を割りつづける。

からから、という展覧会の名前は作家自身がつけたのだと。
乾いた感じでもあり、高笑いでもあり。

ピピロッティ・リスト、からから:2月11日まで。
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by fracoco-Y | 2008-01-27 17:58 | art
ソフィ・カル
ソフィ・カルの作品に、最初に出会ったのは、
世田谷美術館でだった。

1999年のことで、フランスの若手美術作家を
特集した展覧会に、ソフィ・カルの作品があった。
「大いなる眠り」という題名で、写真が何葉か並んでいて、
同じ部屋、同じベッドに、写真ごとに、異なる人が眠っている。

部屋は作家自身の部屋で、ソフィ・カルは、
いろいろな人に、自分の部屋へ来て
眠ってくれるようにと頼んだのだった。

変なことを思いつく人だ。というのが最初の印象だった。
でも、ソフィ・カルという名前は、その作品のインパクトと一緒に、
私の脳裏にしっかり、刻み込まれた。

その次の年か、あるいは2年後、私は図書館で、
ソフィ・カルの「本当の話」という本を、見つけた。
借りて読んでみると、それはこんな話だった。

あるとき、パリで、一人の男性と知り合ったソフィは、
会話の中で、その人が近々ヴェネチアへ旅立つことを知り、
その人を、ヴェネチアまで追跡することを思いつく。

何時の列車に乗るかを調べ、同じ列車のチケットを買い、
ソフィは男性をつけてヴェネチアへとやってくる。
ヴェネチアでは、片端からホテルに問い合わせて、
男性がどこへ投宿するかを突き止め、
男性が街を歩けばその後をソフィが、
すこし距離をおいてつけていく、という趣向だ。
ところが、ヴェネチアの街の構造は特殊だった。
一貫して、男性をつけていたソフィだったが、あるポイントで、
一転、今まで男性を追っていたソフィは、あべこべに、
男性から追われる身となる。


ますます、へんな人だ、と思った。

「本当の話」と前後して、渋谷の映画館で
アート・ドキュメンタリー映画祭をやっていて、
そこにもソフィの作品があった。

ダブル・ブラインド。
(原題:no sex last night)

カリフォルニアの大学で講師の依頼を受けたソフィは、
恋人と、車でアメリカ横断することを思い立つ。
オンボロの車はしょっちゅう故障し、
そのつど修理工場へ駆け込みながら、街を、モーテルを
渡り歩く二人。
ソフィと恋人は、おのおのビデオカメラを回していて、
お互いをインタビューしたり、自分のカメラに向かって
独白したり。

そして、ラスベガスにて、ソフィはついに恋人をその気にさせて、
結婚へと持ち込む。
やがて車はカリフォルニア州へと入って行き、
最終目的地へ到達するのだが・・・。


・・これは、おかしくて、奇妙で、やがてすこし哀しい映画だ。

四度目の邂逅は、銀座のギャラリーでだった。
ある日、目抜き通りに面したモダンなギャラリーの
前を通り掛かったら、ソフィ・カルとある。
今度の作品は、ソフィ自身がエッフェル塔の上で眠っていて、
そこへ人々がかわるがわるに立ち寄り、
彼女を眠らせないように、話をするのだった。
あくびが出たら次の人と交替。
そんな趣向だった。

先週、ふと思い立ってインターネットで、
ソフィ・カルと検索してみると、ダブル・ゲームという本/作品
に行き当たった。
さっそく、取り寄せてみた。それが、今朝到着したのだった。

まず、月、火、水、木・・・と曜日によって、テーマカラーを決め、
その日はその色の食物だけを口にする。
月=オレンジ、火=赤、水=白、木=緑、といった具合だ。
ダブル・ゲーム。

・・・まだ読み始めたばかりだが、この本にも
ソフィの世界が満ちているらしい。

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by fracoco-Y | 2006-03-26 23:37 | art
セーヌ左岸の恋
私の好きな写真集に、「セーヌ左岸の恋」というのがある。

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写真家エド・ヴァン・デル・エルスケン(Ed van der Elsken)が
若き日に、パリに出てきて棲みつき、4年の間(1950-54)に
友人や仲間を写真に撮った。

撮りためた写真はやがて一人のキュレーターの目に留まり、
そのキュレーター、エドワード・スタイケンはエルスケンに、
写真集にまとめるようにと励ました。

エルスケンは考えた末、写真にひとつの物語を与えた。

パリに出てきた男が、サン=ジェルマン=デ=プレに棲みつき、
仲間と出会い、恋し、カフェでねばり、深夜の映画館で眠り、
メトロで眠り、留置場の厄介になり、
やがて恋に破れ、故国へと去っていく。そんな物語だ。

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「セーヌ左岸の恋」タイトルも映画のようだが、眺めていると、
何か、ヌーヴェル・ヴァーグの映画の一本を観ているような気がする。

(写真:「セーヌ左岸の恋」/Ed van der Elsken より)
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by fracoco-Y | 2006-03-18 21:54 | art
ニコラ・ド・スタール:「Le Concert」
赤い背景に、グランドピアノとコントラバス。
これから、ジャム・セッションだろうか。
・・それともセッションが今終わったところだろうか。

数年前、TV「美の巨人たち」でニコラ・ド・スタールの絵を見た。
「Le Concert」という作品で、画家の遺作だということだった。

スタールはこの作品を未完で遺し、世を去ったという。
なるほど、言われてみれば画面にキャンバスが素地のまま
残されている部分がある。

しかし、あえて残したと言われたらそんな気もするし、
未完の作品と言う感触は少ない。

ニコラ・ド・スタールについて知ったのはそれが初めてだった。
抽象とか、具象と言う切り分けに染まないような絵だな、というのが
第一印象だった。ピアノもベースも、見たままを写したという感じではないが、
それでいて、ぱっと見てそれと気がつく。
それから赤い背景の残像が目に残り、実物を見たい、という思いに駆られた

実物を見る機会は思いがけず、早くにやってきた。
半年後、私はパリに旅し、たまたま立ち寄ったポンピドゥー・センターで
「ニコラ・ド・スタール展」が開催されているのを知って、狂喜した。

ニコラ・ド・スタールは1914年、ロシアのサンクトペテルブルクに生まれた。
ロシア革命で家族とともに国を去り、ポーランドへ移住。
しかし、やがて父母に相次いで死に別れ、姉妹と彼とは
ブリュッセルの富裕な実業家に引き取られて育つ。

ブリュッセルの美術学校を経て、1936~37年にはモロッコ旅行
(作風に影響を与えたという。)、最初の妻、ジャニーヌとの出会い、
子供の誕生、貧窮の生活、そしてジャニーヌの死。
ジャニーヌ亡き後、再婚。3人の子供に恵まれ、
その後、初の個展の開催(アメリカにて)。成功裡に終わった個展に続き、
有名な画商との契約。

しかし彼は54年、パリに家族を残すと、一人南仏へと向かう。
南仏のアトリエで、それまで以上に旺盛に創作していたが、
1955年3月16日、アトリエから身を投げて死んだ。41歳だった。

若くして死を選ぶ画家、ミュージシャン、作家の作品は
きっとどこかに、抑鬱された気分、悲観的な感覚、
破滅願望の表れ、があるのだろう、と思っていた。

この頃ではすこし違うふうに感じるようになった。
表現するにはエネルギーが必要だ。

作品の中にそういう気分を見出すのは、見る方の先入観が
少なからず入っている。
彼ら自身は自分と対峙し、作品にエネルギーを注ぎ込んでいたはずで、
最終的に死の方へ向かっていったとしても、
創作の間は必ずしも死に捉われていたとは言えないだろう。

「Le Concert」の目に焼きつく赤を思い浮かべながら、
そんなことを考える。

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(画像:「Le Concert」スタール展カタログより)
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by fracoco-Y | 2006-03-16 00:05 | art