本、建築、ときどき旅。
by fracoco-Y
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ソフィ・カル
ソフィ・カルの作品に、最初に出会ったのは、
世田谷美術館でだった。

1999年のことで、フランスの若手美術作家を
特集した展覧会に、ソフィ・カルの作品があった。
「大いなる眠り」という題名で、写真が何葉か並んでいて、
同じ部屋、同じベッドに、写真ごとに、異なる人が眠っている。

部屋は作家自身の部屋で、ソフィ・カルは、
いろいろな人に、自分の部屋へ来て
眠ってくれるようにと頼んだのだった。

変なことを思いつく人だ。というのが最初の印象だった。
でも、ソフィ・カルという名前は、その作品のインパクトと一緒に、
私の脳裏にしっかり、刻み込まれた。

その次の年か、あるいは2年後、私は図書館で、
ソフィ・カルの「本当の話」という本を、見つけた。
借りて読んでみると、それはこんな話だった。

あるとき、パリで、一人の男性と知り合ったソフィは、
会話の中で、その人が近々ヴェネチアへ旅立つことを知り、
その人を、ヴェネチアまで追跡することを思いつく。

何時の列車に乗るかを調べ、同じ列車のチケットを買い、
ソフィは男性をつけてヴェネチアへとやってくる。
ヴェネチアでは、片端からホテルに問い合わせて、
男性がどこへ投宿するかを突き止め、
男性が街を歩けばその後をソフィが、
すこし距離をおいてつけていく、という趣向だ。
ところが、ヴェネチアの街の構造は特殊だった。
一貫して、男性をつけていたソフィだったが、あるポイントで、
一転、今まで男性を追っていたソフィは、あべこべに、
男性から追われる身となる。


ますます、へんな人だ、と思った。

「本当の話」と前後して、渋谷の映画館で
アート・ドキュメンタリー映画祭をやっていて、
そこにもソフィの作品があった。

ダブル・ブラインド。
(原題:no sex last night)

カリフォルニアの大学で講師の依頼を受けたソフィは、
恋人と、車でアメリカ横断することを思い立つ。
オンボロの車はしょっちゅう故障し、
そのつど修理工場へ駆け込みながら、街を、モーテルを
渡り歩く二人。
ソフィと恋人は、おのおのビデオカメラを回していて、
お互いをインタビューしたり、自分のカメラに向かって
独白したり。

そして、ラスベガスにて、ソフィはついに恋人をその気にさせて、
結婚へと持ち込む。
やがて車はカリフォルニア州へと入って行き、
最終目的地へ到達するのだが・・・。


・・これは、おかしくて、奇妙で、やがてすこし哀しい映画だ。

四度目の邂逅は、銀座のギャラリーでだった。
ある日、目抜き通りに面したモダンなギャラリーの
前を通り掛かったら、ソフィ・カルとある。
今度の作品は、ソフィ自身がエッフェル塔の上で眠っていて、
そこへ人々がかわるがわるに立ち寄り、
彼女を眠らせないように、話をするのだった。
あくびが出たら次の人と交替。
そんな趣向だった。

先週、ふと思い立ってインターネットで、
ソフィ・カルと検索してみると、ダブル・ゲームという本/作品
に行き当たった。
さっそく、取り寄せてみた。それが、今朝到着したのだった。

まず、月、火、水、木・・・と曜日によって、テーマカラーを決め、
その日はその色の食物だけを口にする。
月=オレンジ、火=赤、水=白、木=緑、といった具合だ。
ダブル・ゲーム。

・・・まだ読み始めたばかりだが、この本にも
ソフィの世界が満ちているらしい。

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by fracoco-Y | 2006-03-26 23:37 | art
セーヌ左岸の恋
私の好きな写真集に、「セーヌ左岸の恋」というのがある。

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写真家エド・ヴァン・デル・エルスケン(Ed van der Elsken)が
若き日に、パリに出てきて棲みつき、4年の間(1950-54)に
友人や仲間を写真に撮った。

撮りためた写真はやがて一人のキュレーターの目に留まり、
そのキュレーター、エドワード・スタイケンはエルスケンに、
写真集にまとめるようにと励ました。

エルスケンは考えた末、写真にひとつの物語を与えた。

パリに出てきた男が、サン=ジェルマン=デ=プレに棲みつき、
仲間と出会い、恋し、カフェでねばり、深夜の映画館で眠り、
メトロで眠り、留置場の厄介になり、
やがて恋に破れ、故国へと去っていく。そんな物語だ。

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「セーヌ左岸の恋」タイトルも映画のようだが、眺めていると、
何か、ヌーヴェル・ヴァーグの映画の一本を観ているような気がする。

(写真:「セーヌ左岸の恋」/Ed van der Elsken より)
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by fracoco-Y | 2006-03-18 21:54 | art
ニコラ・ド・スタール:「Le Concert」
赤い背景に、グランドピアノとコントラバス。
これから、ジャム・セッションだろうか。
・・それともセッションが今終わったところだろうか。

数年前、TV「美の巨人たち」でニコラ・ド・スタールの絵を見た。
「Le Concert」という作品で、画家の遺作だということだった。

スタールはこの作品を未完で遺し、世を去ったという。
なるほど、言われてみれば画面にキャンバスが素地のまま
残されている部分がある。

しかし、あえて残したと言われたらそんな気もするし、
未完の作品と言う感触は少ない。

ニコラ・ド・スタールについて知ったのはそれが初めてだった。
抽象とか、具象と言う切り分けに染まないような絵だな、というのが
第一印象だった。ピアノもベースも、見たままを写したという感じではないが、
それでいて、ぱっと見てそれと気がつく。
それから赤い背景の残像が目に残り、実物を見たい、という思いに駆られた

実物を見る機会は思いがけず、早くにやってきた。
半年後、私はパリに旅し、たまたま立ち寄ったポンピドゥー・センターで
「ニコラ・ド・スタール展」が開催されているのを知って、狂喜した。

ニコラ・ド・スタールは1914年、ロシアのサンクトペテルブルクに生まれた。
ロシア革命で家族とともに国を去り、ポーランドへ移住。
しかし、やがて父母に相次いで死に別れ、姉妹と彼とは
ブリュッセルの富裕な実業家に引き取られて育つ。

ブリュッセルの美術学校を経て、1936~37年にはモロッコ旅行
(作風に影響を与えたという。)、最初の妻、ジャニーヌとの出会い、
子供の誕生、貧窮の生活、そしてジャニーヌの死。
ジャニーヌ亡き後、再婚。3人の子供に恵まれ、
その後、初の個展の開催(アメリカにて)。成功裡に終わった個展に続き、
有名な画商との契約。

しかし彼は54年、パリに家族を残すと、一人南仏へと向かう。
南仏のアトリエで、それまで以上に旺盛に創作していたが、
1955年3月16日、アトリエから身を投げて死んだ。41歳だった。

若くして死を選ぶ画家、ミュージシャン、作家の作品は
きっとどこかに、抑鬱された気分、悲観的な感覚、
破滅願望の表れ、があるのだろう、と思っていた。

この頃ではすこし違うふうに感じるようになった。
表現するにはエネルギーが必要だ。

作品の中にそういう気分を見出すのは、見る方の先入観が
少なからず入っている。
彼ら自身は自分と対峙し、作品にエネルギーを注ぎ込んでいたはずで、
最終的に死の方へ向かっていったとしても、
創作の間は必ずしも死に捉われていたとは言えないだろう。

「Le Concert」の目に焼きつく赤を思い浮かべながら、
そんなことを考える。

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(画像:「Le Concert」スタール展カタログより)
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by fracoco-Y | 2006-03-16 00:05 | art
Joni Mitchel
学生時代から聴いていて、いまでもその人の音楽を聴き続けている
ミュージシャンの一人に、Joni Mitchel がいる。

カナダの人。

聴き続けているわりには、バイオグラフィーなど詳しいことを知らない。
しかし。アルバム「HEJURA」の2曲目、「Amerlia」を聴くと、
いつも私は遥かな旅の空の下にあるような気持ちになる。

“私は、焼けつく砂漠を車で横断していた。
荒涼とした地帯に6本の白い飛行機雲を残して、
6機の飛行機が飛んでいくのに気がついたとき、
それは、空に描かれた六角形のようでもあり、
私のギターの弦のようでもあり、・・・”

アメリア、とはアメリカの女流飛行家で、数々の飛行記録を遺して、
太平洋上で消息を絶ったアメリア・エアハート。
この歌の中で、ジョニは「Amelia,It was just a false alarm」と
繰り返し呼びかけている。

はじめて一人旅をしたのが21の時。
行き先はパリで、Joni Mitchelのこの曲が道連れだった。

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by fracoco-Y | 2006-03-13 22:22 | music
E・G・アスプルンド展
人はどこから来て、どこへ行くのか。

昔、すべての哲学のスタートラインにあるような命題に
かたちを与えようとした人がいた。

スウェーデンの建築家、エリック・グンナー・アスプルンド 。
55年という、決して長くはない生涯の、実に25年の歳月を
ストックホルムの森の墓地と礼拝堂、火葬場の建築に
心を砕いて過ごした。

人は死ぬと、森に還る。

スウェーデンの人々にはこんな死生観があるらしい。
今から100年ほど前、ストックホルムの人口増による墓地の不足を
解消するため、森に墓地をつくる設計コンペが開かれた。
選ばれたのは、若きアスプルンドとその友人の案。

森をそのまま残し、その中に、墓地や礼拝堂を溶け込ませるプランだった。

1994年に森の墓地・森の礼拝堂は世界遺産に登録され、過日TVの
「世界遺産」でも紹介されていたが、汐留でアスプルンド展が
開催されていて(2006年2月11日~4月16日@松下電工ミュージアム)
見に出掛けた。

まだ学生だった頃、父方の祖母が亡くなった。
火葬場は比較的新しい建物だったが、炉がホールに面して
横一列に並んでいた。
炉の正面には故人の遺影を掲げるようになっていて、
私たち以外にも、何件かお弔いがあるらしかったが、
その中に、まだ幼い子の遺影があるのに気がついた。

こんなに幼くして・・と胸を衝かれた。
同時に見てはいけないものを見てしまったような気がして、
私はそっと、その場から離れた。

横一列に並んだ炉というのも、どこか冷たい感じがして、
火葬に、何かむごいようなイメージを抱いてしまった。

森の礼拝堂では、遺族の心情により添うような、きめ細かな配慮がされている。
別のお弔いの遺族と顔を合わせないように。
待合室から礼拝堂に入る前、ふと外の風景に目を転じられるように。
家具や建物の細部には尖ったところがないように。

アスプルンド自身、この計画に携わっている間に、
最初の子を幼くして喪うという不幸に見舞われていた。

今日は私、明日はあなた。アスプルンドが森の墓地の
オベリスク(実現せず)に刻もうとした言葉である。
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アスプルンド展でもうひとつ、とりわけ印象に残ったのが、
彼の別荘である夏の家だった。
湖畔に佇む簡素な住宅で、見たところは、
建築家の作品というよりも、慎ましやかな木造家屋、といった
風情である。

しかしながら写真や映像で見るリビングの様子は、
漆喰で塗りこめた暖炉、ソファの横には湖を望むピクチャーウィンドウ。
造り付けの机とそれに面したいくつかの窓。
テラスへ上る煉瓦を敷き詰めた階段・・・
どこまでも暖かな、親密な空間が拡がっていて、
ずっと眺めているうちに、あたかも、自分がそこで寛いでいるような
感じを覚えた。
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建築は本来、それが建っている土地、風土、気候といったものと
不可分だから、本当は実際にそこへ行ってみるのが一番いいと思う。

この展覧会は、建築の建っている周辺の佇まいの紹介も怠りなく、
映像や写真を多用していて、その建築のもつ、ある雰囲気を伝えていた。

(上掲写真:アスプルンド展図録より)
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by fracoco-Y | 2006-03-12 04:10 | architecture
My Architect 建築家、ルイス・カーン
ルイス・カーンという建築家がいた。

今から30年も前に、インドからの帰途、NYの地下鉄駅で行き倒れて亡くなった。
遺されたのは、数々の美術館や研究所、「沈黙と光」という言葉、幾許かの負債。

そして3つの「家族」。

カーンの子息は当時11歳。長じて、父を探す旅に出、一篇の映画を撮った。

ルイス・カーンの息子の撮った映画を渋谷で上映していると聞いて、
見に出掛けた。

ナサニエル・カーンは、父と暮らしたことがない。
週に一度、父は家を訪れ、夜には母が車で送っていったという。
思い出は、父と二人で「舟の本」を作ったこと。

父を知るために、ナサニエルは縁の人たちを訪ね歩き、言葉をかわす。
母の違う姉たち。カーンの死の第一発見者。カーンに敬意を表する建築家。
ユダヤ教の祭司である父の親戚。設計事務所の元所員。

そうして出来たのが、映画「マイ・アーキテクト」。

ある人曰く「カーンはユダヤ人だったから、建築を神の創造物として捉えていた。」
だから、決して妥協できなかったのだ、と。

晩年、カーンはバングラディシュに国会議事堂を設計した。
担当の所員はバングラディシュ人で、ナサニエルに向かって
「彼は世界で最も貧しい国に、こんなにも立派な建築を遺してくれた。」と
声を詰まらせた。

そして、
「ルイス・カーンは偉きな人物だったが故に、身内にだけ愛情を注ぐ
生き方はできなかったのだ。愛情がなかったのではなく、
建築を以て万人に愛情を与えたのだ、」と。

水辺で威容を誇る国会議事堂。
いつかダッカへ行ってみたいと思う。

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by fracoco-Y | 2006-03-11 03:59 | architecture
東京ステーションホテル
東京駅が4月から復原改修に入るのは知っていたけれど、
東京ステーションホテルもそれに伴い、長期休業すると言う。
なんだか惜しむような気持ちになり、にわかに泊まってみたくなった。

駅の中のホテル、というのが非日常的で、
とりわけホテルから望む丸の内南口の改札ホールが
どんな風景なのか気になっていた。

平日の夕方、するりとロビーへ滑り込む。

こじんまりとしたカウンター、吹き抜けの階段、紅い絨毯、広い廊下。
そして廊下の突き当たりの眼下には東京駅丸の内南口ホール。

夕食は、せっかくだから、とホテル内のレストラン「ばら」へ行った。
窓のすぐ向こうに、電車の行きかうのがあまりに迫って見えるので、
とっさに、その昔フランスのリュミエール兄弟が映画に撮った、
シオタ駅に到着する汽車の映像を思い浮かべてしまった。

バスルームは取ってつけたようだったけれど
(実際開業当時は各部屋にバスルームはなかったらしい)、
部屋数があまり多くなく、もてなし方もどこかおっとりとしたこのホテルで、
オイルヒーターを流れる水音を聞きながら、
微かな古き時代の匂いをかいだ様に思ったのは、気のせいだっただろうか。

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by fracoco-Y | 2006-03-11 01:12 | journey