本、建築、ときどき旅。
by fracoco-Y
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武田百合子の世界
昨日、図書館で武田百合子を3冊借りる。
「遊覧日記」
「ことばの食卓」
「日々雑記」
すいすい読んでしまって、惜しくなる。
一昨日、犬が星見た、を読んだから、
あと、まだ私が読んでいない武田百合子は
「富士日記」くらい、なのだ。
う~、もっと読みたい。

娘と一緒に浅草花やしきに行ったり、
群馬のヘビセンターに行ったり(ちなみにそのヘビセンターは
各種のヘビが見られるだけでなく、ヘビのフルコースが食べられたりする。)
富士の山荘に出かけたり。
(山荘ではトイレが工事中で、余儀なく庭で用を足したら、
一部始終を見ていたネコの玉が、やってきて土をかけてくれた。)
昔のキャラメルや牛乳の思い出。

何気ない日常なのだけど。

武田百合子の眼差しを通してみると、
ガード下の500円のスキヤキも
オムレツ専門店のイマイチなオムレツも、
特別なものに思えてくる。

武田百合子+娘、花+三毛ネコの玉。
二人と一匹の生活。
母と娘のやりとりもいい。

物書きの母と写真家の娘。
共同の仕事で佐渡取材旅行。

何だかな、いいなぁ、って思う。
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by fracoco-Y | 2008-03-30 22:18
犬が星見た
天衣無縫な文章、ってこういうのを言うのだろうかなぁ、と思う。
武田百合子「犬が星見た」を読んで。

タイトルもイイ。
犬が星見た、なんて。
それは、武田百合子がある晩、路上でビクターの犬よろしく
小首をかしげて空を見上げる犬を見かけたことに由来する、らしい。

夫、武田泰淳と、泰淳の盟友竹内好とともに、
ロシア・ツアーに参加した武田百合子。

時は1969年。
1ドル360円の時代。(この年大学を卒業したボスに聞いた。
学食のランチが100円で食べられたそうである。)
だから、ツアーと言っても当世のようにやたら参加人数が多くて
取り留めのない旅行ではなくて、旅行社のコンダクターを含めて
10人の、3週間に及ぶ旅の記録である。

まず、横浜から出港する船、というところに時代を感じる。
成田からひとッ飛び、ではないのだ。
関西から参加した人々もいて、関西組は陶器の研究者と
美術を愛好する実業家数名。
船は太平洋を北上して津軽海峡を抜け、一路ナホトカへ。

武田百合子は船中の食事について記録する。
(これは旅行中を通して一貫している。時々ウマイとかマズイとか
書かれてある。中央アジアではやたらとチャイとシャシリク
が出てくる。そういえば、シャシリクって何だろう。)

「オバサン、カヨ子さん?外人は好き?」と尋ねてくる西洋人の男の子。
それに、「オバサンは象と豚とライオンが好きだよ」と応える百合子。

ナホトカ到着後、列車でハバロフスクへ。
ここで1泊。
ハバロフスクから飛行機でイルクーツクへ。
(機内でアメを貰ったが、あまり離陸に時間がかかるので、
離陸したときには食べ終わってしまっていた。)
機内ではキャビアが出たりなんかするのだ。

イルクーツクで飛行機を乗り継ぎ、ノボシビリスクへ。
本当は、この日のうちに再々度飛行機に乗り、アルマ・アタへ向かう
はずだったが、遅れに遅れてノボシビリスクで足止め。
空港宿舎に1泊。
後の予定があるので、翌日のアルマ・アタ滞在はキャンセル、
乗り継ぎのみで、タシケントに向かうことに決まる。
泰淳はそれが無念で、「どうしてアルマ・アタに行けないのかなあ」と
そればかり繰り返す。

ロシアは広いので、乗り継ぐごとに時計を遅らせたり進めたりして
読んでいるうちに、こちらも時差ぼけのようになってくる。

ツアー参加者の最年長は80になる錢高老人で、
この人がまた天真爛漫。
関西の土木建築会社の会長さんなのだそうだ、というくだりを読んで、
ふうん、どこの会社だろう、と思いつつ読み進めていったが、
にわかに、そうか錢高組、と気がついた。

大阪では、運転手や秘書やに囲まれる生活をしていて、
ツアーでは、最高齢ということで、敬意は表されつつも、
誰も変に特別扱いしないのを、錢高老人は喜んだらしい。
たいへんなヘビースモーカーで、いたるところでつい煙草を吸ってしまい、
ロシア人に叱られたりするのを、どこか嬉しがっているようなそぶりさえ
見受けられる。

コンダクターの山口氏。
気働きがあって、それでいて押し付けがましいところのまったくない、
まだ青年と言っていい年頃ではないかと推測せらる人物。
この人の働きには一同感じ入っていて、旅の終わり近くには
一人頭5ドルの献金をしよう、と話がまとまる。

そして、もっぱら、ビールやウオトカやワインを飲んだくれる泰淳と竹内。
(百合子もちょくちょく相伴する。)
「百合子、面白いか、嬉しいか。」と百合子に訊く泰淳。
「まだ面白くも嬉しくもない。だんだん嬉しくなると思う」と応える百合子。
そして武田百合子は夫・泰淳の世話を、じつはまめに見ている。

さて、これから中央アジアとサンクトペテルブルク、モスクワを旅しよう、
という人が、この本をガイドがわりに読んで参考になるか、といえば、
多分、そういう意味では役にたたないかもしれない。
(あちこちの名所旧跡のコメントはひどくあっさりしている。)

しかし、旅が終盤に差し掛かり、皆、旅に少しずつ倦んできて
空港の待合室で、お互いちょっとずつ離れて座ったり、

モスクワでのツアー解散後(日本まで一緒くたになって帰ってこない
ツアーというのもあるのだ)
北欧に渡った3人が、コペンハーゲンの噴水の向こうに見える
アメリカの旅行者を眺めながら繰り広げる
「旅行者って、すぐわかるね。さびしそうに見えるね。」
「当り前さ、生活がないんだから。」
「犯罪に時効ってあるじゃない。十年目とか十五年目とか。
でも外国へ行っていた間の年月や時間は勘定に入れて
くれないんだってね。
・・・・・なるほどと思うなぁ。」
という会話。

そういう描写を読むにつけ、
ああ、ただ天衣無縫な文章、っていうわけじゃないんだ。
と思う。

武田百合子「犬が星見た ロシア旅行」中公文庫
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by fracoco-Y | 2008-03-29 02:14 | book
ひねもすのたり。
家から15分ほど歩いたところに森林公園がある。
湿地や芝生があって、散策によい。

陽気がよいので、昼ご飯とお茶セットを持って
母や姉たちと外に出る。
隣接の公営墓地は、彼岸ゆえ、墓参の人々の姿が多く見られ、
公園には、小さな子をつれた家族の姿がいくつも。
ダックスフントやチワワを散歩させる人をちらほら見かけた。

芝生の上で、野点。
お茶請けは、姉の手製の桜餅。

そのあと、とろとろ午睡してしまう。
姉と姪と母とはフリスビーに興じていた。

同じくらいの月齢と思しき乳飲み子をつれた
欧米人のパパ同士。
木の枝を熊手のように引きずる男の子。
その男の子に興味津々なシーズー犬。

案外日差しが強くて、日焼けしてしまった。

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by fracoco-Y | 2008-03-23 20:56 | diary
須賀敦子について
このひとの本を最初に読んだのがいつのことだったか、
もう思い出すことが出来ない。

印象が薄い、というのではなかった。
端正な、端正な日本語。
それは、美辞麗句を連ねた、という類のものではなく、あまりに控えめで
さりげなくて、染み入るようだったので、
かえっていつの間にか馴染んだという風で、
初めて読んだときがいつだったのか、思い出せないくらい自然に
私の中へ浸透していたのだった。

外国をモチーフにしたエッセイ、というのを私は好きだったし、
かといって誰が書いたものでも良いわけではなくて、
やはり好みがあるのだが、
須賀敦子のエッセイは、異邦人でありながら、異邦人の視点と、
イタリアに深く分け入った生活者の視点とが、
行間から等しく感じられるのだった。

生身の著者を知る人によると、控えめな文章からは想像がつかないが、
なかなかやんちゃなところのあるひとだったようである。
‘女だてらに’真っ赤なvolvoを駈っていたことを、
どの本だったか、解説の中で認めた。
(たぶん、イタリア国内でのことと思うが、前の車がもたもたしていると、
イタリア語の罵声が飛んだらしい。)

そうかもしれない。
聖心女子大を出たのち(1期生。ちなみに緒方貞子氏も同期。)
両親を説得してフランスへ留学。
さらにイタリアへ留学の後、ミラノの書店勤務。
書店の同僚であったジュゼッペと結婚。夫と協力して、漱石や鴎外、
鏡花や谷崎をイタリア語訳。
しかし、夫は5年半の結婚生活の後、他界。

やがて帰国。
慶応や上智でイタリア語やイタリア文学の授業を受け持つようになる。
後に助教授を経て、上智大学教授。
ウンベルト・サバ、アントニオ・タブッキを日本語訳。

初等教育から聖心学院に通っていたことや、
のちの上智大学教授という肩書きだけ見ていると
見逃してしまうが、夫と死別した後は、どう生活を立てていくか、
頭を悩ませた時期もあったらしい。

1991年、ミラノ、霧の風景が女流文学賞を受賞。
1998年、3月20日、逝去。
だから、須賀敦子の作家としての活動は僅か、十年足らずなのだ。

最近、須賀敦子を読んでいて。
「ヴェネツィアの宿」「遠い朝の本たち」
以前は気がつかなかったが、通奏低音のようにそっと、
カトリックの倫理観が根ざしていることを知った。

咄嗟に、やはり昨年の、ちょうど今頃熟読した犬養道子を連想したのだが、
ヨーロッパで長年生きていくということは、
特に、何らかの精神的な糧を得て生きていこうとすることは、
そうした核を必要とするのかも知れない。

今日で、須賀敦子が亡くなってちょうど10年になる。

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by fracoco-Y | 2008-03-20 22:22
祖母のこと(母方篇)
金曜日の明け方、電話が鳴った。

トイレに起き出した私に母が、
「おばあちゃん、亡くなったって。・・・・」

前日、携帯に母からのメール。
祖母が、多臓器不全で早ければあと一週間、ということだった。
私は、まだ存命のうちに祖母を見舞おうと、月曜日に札幌へ発つ
飛行機を手配した。

見舞いは凍結。

通夜は日曜日、告別式は月曜日という運びになった。

母の郷里は北海道。
夏休み、母に連れられて北海道へ行くのが恒例だった。
従姉妹や伯父伯母たち(もちろん祖母も)との親族旅行。
利尻礼文、知床、稚内、釧路。
東へ、北へ。
母は兄弟仲がよく、伯父伯母たちのそれぞれタイプは違えど
大らかでフランクな人柄。
年の近い従姉妹たち。
子供の頃の私は、年に一度の渡道を楽しみにしていて。

日曜日、父と札幌に発つ。同日姉と姪も渡札。
母は一足先、前日に札幌入り。
札幌駅北口に父と姉と(姪も)待ち合わせる。
タクシーを拾って会場へ。

行動の人であった。
針仕事は趣味を超えて仕事の域。
(通夜の席で、祖母が若き日に、和裁で教鞭を執っていたのを知った。
出生前に父親に死に別れ、女性も手に職を、との
意向があったのかも知れない。)
七五三の晴れ着も、ハタチの振袖も、祖母の手縫いだった。

庭仕事は、日本のターシャ・チューダーと言っては言いすぎか。
でも、私の子供の頃には畑を借りていて、とうもろこしを作っていたし、
梅がなると、紫蘇と一緒に甘酸っぱく漬けていたものだった。

町内会の活動に、赤十字のボランティア。
詩吟を嗜んでいて、師範の資格を得ていたのを知った。

1912年1月7日生まれ
(ドイツの指揮者ギュンター・ヴァントと偶然にも同年同月同日生まれ)
2008年3月7日5時15分、逝去。
享年96歳。

通夜の式場で、何年ぶりかで祖母と対面した。
眠るような安らかな表情だった。

掲げられた遺影の黒目勝ちな瞳。

いつも柔和で
「ありがとうさま。」「**さんが~へ行きなさって。」
祖母の口調に、私は、
(おばあちゃん、赤毛のアンに出てくるマシューみたいだよ。)
と思ったものだった。

見舞いを待たず、あっさり逝ってしまった。
温厚なうちにも芯のしっかりした人だったから、
逝くと決めたら、もう迷わなかったのかもしれない。

最後に言葉を交わしたのは、数年前、見舞いに行った折。
(そのとき私は腰を痛くしていて)「腰が痛くて。」
と言ったら、
「おばあちゃんは年だけれど、あんたはまだ若いのに。」
と可笑しがられた。そして、
「仕事もいいけど、結婚は?」
昔気質に念を押すのも忘れなかった。

グランドホテルに宿を取っていたが、
その晩は母や伯父伯母、従姉妹たちとともに、
会場に泊り込むことにした。
会場には、母のいとこたちも集っていた。
従姉妹たちと、久しぶりに近況を語り合った。

伯母(祖母の長女)の連れ合いである今年70になる伯父が、
「おかあさんにすまないから。」
と言ってほぼ夜通し起きているのだった。

何年か前から少しずつ内臓を悪くしていたし、
96歳は大往生、とは思う。
祖母の生まれた1912年は、明治天皇崩御の他、
清朝の滅亡、タイタニック号の沈没があった年。
それら歴史的事実を鑑みて、
(それは、おばあちゃんも年を取って亡くなるわけだわ。)
と思うのだった。
でも、想像以上に祖母が逝ってしまったことに打たれる。

肉親とは、無条件に愛情を注いでくれる相手であるから。

骨になった祖母は、一部がうっすらと桜色がかり、
一部は淡い翡翠色で、無垢で可憐だった。
右足のあった部分から、ごついワイヤーが5本も現れたのに
驚いた。
生まれも育ちも北海道であった祖母。
格段骨が脆かったわけでもないのに、
雪道で転ぶなどして、骨折したことが数回に及んだという。

ワイヤーは、雪国で暮らすことの厳しさを、
無言のうちに物語っているようだった。

遠方の親族もあるので、初七日の法要もその日のうちに。
喪主の伯父が
「おふくろを亡くす、というのは哀しいことではあるけれど、
こうして久しぶりの顔ぶれが集えたのが懐かしく、
これもおふくろからの最後の贈り物かな、と。・・・」

葬儀が済んで、私は何かに憑かれたように眠りに眠った。

私は32歳。
32年を1タームとして、それを3回繰り返すと祖母の年になる。
それを思うと、96年の生涯も案外あっという間なのかもしれなかった。

ー時間を大事にしなさい。
祖母が、そう語りかけているような気がする。
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by fracoco-Y | 2008-03-16 00:26 | diary
しばしば、掃除機でいろんなこまごまとしたものを吸い込んでしまう。

消しゴムのちびたの。
ボタン。
ボールペン。
etc

あらかじめ床を整頓しておいてから掃除機をかければ
そんなことはおきないはずだが、それがなかなかできない。
吸い込んでしまってから、あ~ぁ・・、と掃除機を解体して
消しゴムその他の救出にあたるのだが、
少々憂鬱な作業ではある。

それで、箒を買った。
東急線の駅で頒布される情報誌「salus」
それに載っていたのと同じ箒を
新宿のキャトル・セゾンにて、1700円ほどで。

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たまにこれに乗って飛ぶつもり。
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by fracoco-Y | 2008-03-02 23:50 | diary