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ルイス・カーンという建築家がいた。
今から30年も前に、インドからの帰途、NYの地下鉄駅で行き倒れて亡くなった。 遺されたのは、数々の美術館や研究所、「沈黙と光」という言葉、幾許かの負債。 そして3つの「家族」。 カーンの子息は当時11歳。長じて、父を探す旅に出、一篇の映画を撮った。 ルイス・カーンの息子の撮った映画を渋谷で上映していると聞いて、 見に出掛けた。 ナサニエル・カーンは、父と暮らしたことがない。 週に一度、父は家を訪れ、夜には母が車で送っていったという。 思い出は、父と二人で「舟の本」を作ったこと。 父を知るために、ナサニエルは縁の人たちを訪ね歩き、言葉をかわす。 母の違う姉たち。カーンの死の第一発見者。カーンに敬意を表する建築家。 ユダヤ教の祭司である父の親戚。設計事務所の元所員。 そうして出来たのが、映画「マイ・アーキテクト」。 ある人曰く「カーンはユダヤ人だったから、建築を神の創造物として捉えていた。」 だから、決して妥協できなかったのだ、と。 晩年、カーンはバングラディシュに国会議事堂を設計した。 担当の所員はバングラディシュ人で、ナサニエルに向かって 「彼は世界で最も貧しい国に、こんなにも立派な建築を遺してくれた。」と 声を詰まらせた。 そして、 「ルイス・カーンは偉きな人物だったが故に、身内にだけ愛情を注ぐ 生き方はできなかったのだ。愛情がなかったのではなく、 建築を以て万人に愛情を与えたのだ、」と。 水辺で威容を誇る国会議事堂。 いつかダッカへ行ってみたいと思う。
by fracoco-Y
| 2006-03-11 03:59
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