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赤い背景に、グランドピアノとコントラバス。
これから、ジャム・セッションだろうか。 ・・それともセッションが今終わったところだろうか。 数年前、TV「美の巨人たち」でニコラ・ド・スタールの絵を見た。 「Le Concert」という作品で、画家の遺作だということだった。 スタールはこの作品を未完で遺し、世を去ったという。 なるほど、言われてみれば画面にキャンバスが素地のまま 残されている部分がある。 しかし、あえて残したと言われたらそんな気もするし、 未完の作品と言う感触は少ない。 ニコラ・ド・スタールについて知ったのはそれが初めてだった。 抽象とか、具象と言う切り分けに染まないような絵だな、というのが 第一印象だった。ピアノもベースも、見たままを写したという感じではないが、 それでいて、ぱっと見てそれと気がつく。 それから赤い背景の残像が目に残り、実物を見たい、という思いに駆られた 実物を見る機会は思いがけず、早くにやってきた。 半年後、私はパリに旅し、たまたま立ち寄ったポンピドゥー・センターで 「ニコラ・ド・スタール展」が開催されているのを知って、狂喜した。 ニコラ・ド・スタールは1914年、ロシアのサンクトペテルブルクに生まれた。 ロシア革命で家族とともに国を去り、ポーランドへ移住。 しかし、やがて父母に相次いで死に別れ、姉妹と彼とは ブリュッセルの富裕な実業家に引き取られて育つ。 ブリュッセルの美術学校を経て、1936~37年にはモロッコ旅行 (作風に影響を与えたという。)、最初の妻、ジャニーヌとの出会い、 子供の誕生、貧窮の生活、そしてジャニーヌの死。 ジャニーヌ亡き後、再婚。3人の子供に恵まれ、 その後、初の個展の開催(アメリカにて)。成功裡に終わった個展に続き、 有名な画商との契約。 しかし彼は54年、パリに家族を残すと、一人南仏へと向かう。 南仏のアトリエで、それまで以上に旺盛に創作していたが、 1955年3月16日、アトリエから身を投げて死んだ。41歳だった。 若くして死を選ぶ画家、ミュージシャン、作家の作品は きっとどこかに、抑鬱された気分、悲観的な感覚、 破滅願望の表れ、があるのだろう、と思っていた。 この頃ではすこし違うふうに感じるようになった。 表現するにはエネルギーが必要だ。 作品の中にそういう気分を見出すのは、見る方の先入観が 少なからず入っている。 彼ら自身は自分と対峙し、作品にエネルギーを注ぎ込んでいたはずで、 最終的に死の方へ向かっていったとしても、 創作の間は必ずしも死に捉われていたとは言えないだろう。 「Le Concert」の目に焼きつく赤を思い浮かべながら、 そんなことを考える。 (画像:「Le Concert」スタール展カタログより)
by fracoco-Y
| 2006-03-16 00:05
| art
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