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人はどこから来て、どこへ行くのか。
昔、すべての哲学のスタートラインにあるような命題に かたちを与えようとした人がいた。 スウェーデンの建築家、エリック・グンナー・アスプルンド 。 55年という、決して長くはない生涯の、実に25年の歳月を ストックホルムの森の墓地と礼拝堂、火葬場の建築に 心を砕いて過ごした。 人は死ぬと、森に還る。 スウェーデンの人々にはこんな死生観があるらしい。 今から100年ほど前、ストックホルムの人口増による墓地の不足を 解消するため、森に墓地をつくる設計コンペが開かれた。 選ばれたのは、若きアスプルンドとその友人の案。 森をそのまま残し、その中に、墓地や礼拝堂を溶け込ませるプランだった。 1994年に森の墓地・森の礼拝堂は世界遺産に登録され、過日TVの 「世界遺産」でも紹介されていたが、汐留でアスプルンド展が 開催されていて(2006年2月11日~4月16日@松下電工ミュージアム) 見に出掛けた。 まだ学生だった頃、父方の祖母が亡くなった。 火葬場は比較的新しい建物だったが、炉がホールに面して 横一列に並んでいた。 炉の正面には故人の遺影を掲げるようになっていて、 私たち以外にも、何件かお弔いがあるらしかったが、 その中に、まだ幼い子の遺影があるのに気がついた。 こんなに幼くして・・と胸を衝かれた。 同時に見てはいけないものを見てしまったような気がして、 私はそっと、その場から離れた。 横一列に並んだ炉というのも、どこか冷たい感じがして、 火葬に、何かむごいようなイメージを抱いてしまった。 森の礼拝堂では、遺族の心情により添うような、きめ細かな配慮がされている。 別のお弔いの遺族と顔を合わせないように。 待合室から礼拝堂に入る前、ふと外の風景に目を転じられるように。 家具や建物の細部には尖ったところがないように。 アスプルンド自身、この計画に携わっている間に、 最初の子を幼くして喪うという不幸に見舞われていた。 今日は私、明日はあなた。アスプルンドが森の墓地の オベリスク(実現せず)に刻もうとした言葉である。 アスプルンド展でもうひとつ、とりわけ印象に残ったのが、 彼の別荘である夏の家だった。 湖畔に佇む簡素な住宅で、見たところは、 建築家の作品というよりも、慎ましやかな木造家屋、といった 風情である。 しかしながら写真や映像で見るリビングの様子は、 漆喰で塗りこめた暖炉、ソファの横には湖を望むピクチャーウィンドウ。 造り付けの机とそれに面したいくつかの窓。 テラスへ上る煉瓦を敷き詰めた階段・・・ どこまでも暖かな、親密な空間が拡がっていて、 ずっと眺めているうちに、あたかも、自分がそこで寛いでいるような 感じを覚えた。 建築は本来、それが建っている土地、風土、気候といったものと 不可分だから、本当は実際にそこへ行ってみるのが一番いいと思う。 この展覧会は、建築の建っている周辺の佇まいの紹介も怠りなく、 映像や写真を多用していて、その建築のもつ、ある雰囲気を伝えていた。 (上掲写真:アスプルンド展図録より)
by fracoco-Y
| 2006-03-12 04:10
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