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つい最近の新聞の社会面から。
まず、建築家のヨルン・ウツソンが亡くなった。 一般的には、それほど名前の知られた建築家ではないと思うが、 名前を知らなくとも、シドニー・オペラハウスの設計者と言われれば、 ああ! と思われる向きも少なくないにちがいない。 近現代の建築で、世界遺産に登録された建築はいくつかあると思うが、 存命中に自分の設計した建築が世界遺産に登録されたのは、 彼くらいではなかろうか? という気がする。 ついで、思想家のクロード・レヴィ=ストロース、100歳の誕生日の記事。 レヴィ=ストロースの名前を初めて聞いたのは学生時代だったと思うが、 その頃すでに歴史上の人物と思っていたので、 誕生日と聞いて腰を抜かさんばかりに驚いた。 ウツソンといえばシドニー・オペラハウスで、 ほかの建築を知らないなぁ、と思ったら、 ボスが、住宅を見たよ、という。 個人邸なので、一般に公開などしていないが、 外から覗いたのだと言う。 すばらしい住宅だったそうだ。 それにしても、外から見知らぬ東洋人が家を覗き込んでいるのを、 その家の人が気がついたとしたら、 さだめし驚いたに違いない。 #
by fracoco-Y
| 2008-12-02 23:38
| diary
12/1は世界エイズデーなのだそうで。
エイズ、というと私は、エイズで亡くなった、と言われるフランスの思想家、ミシェル・フーコーと エルヴェ・ギベールの自伝的小説「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」 を彷彿とする。 不謹慎な言い方かも知れないが、思想家とエイズ、というのは かなり異質な組合わせのように思われて、 ひどくびっくりしたものだった。 思想家の生活というのは、思索的で、慎重で、あまり外部と接触しない、というイメージがあったので。 「ぼくの命を…」はもう十年以上も前に読んだと思う。 ディテールは忘れてしまったが、 エイズを発症して、さまざまな治療方法を探りながら生きるギベール、 新薬を求めて友人に働きかけながら、結局果たされないところに、痛々しい感触があった。 ギベール、また読んでみようかな…。 #
by fracoco-Y
| 2008-12-02 00:04
| diary
今日、猫カフェなるところへ行った。
文字通り、猫のいるカフェ。 お茶を飲みながら、猫を眺めたり、 猫と戯れたり(猫が遊んでくれるならば。)することができる。 姉の膝の上の彼は、この後、私の膝の上できっかり40分午睡した。 膝に猫を載せるのは、なんと気分のよいことだろう。 歩き回る猫に目を細める私たちは何だか、 キャバクラのオネエさんに入れあげるオジさんに 似ている気もする。 #
by fracoco-y
| 2008-11-29 22:29
| tea&coffee
さて、話は少し戻って23日に遡る。
その日は早起きして、外宮を参拝した。 参道はまだほの暗い。 朝の空気がきりりと頬を刺す。 まだ少ない参拝者。 清げである。 早速に正宮、別宮を参拝すると、 神宮司庁の職員と思しき方に話かけられた。 今日は新嘗祭があります。 正宮の前には一列に人が並んでいる。 私もその列に加わると、やがて衣冠束帯姿の勅使の一行が来られた。 世にもたえなる沓音がした。 それは清涼な川のせせらぎのようなので、あった。 #
by fracoco-Y
| 2008-11-26 19:25
| journey
これは式年遷宮のためである。
伊勢神宮は世にも珍しいことに、二十年に一度、正殿から宝物に至るまでそっくり新しく造り替えるならわしがあるのだ。 隣の空地はそのための敷地である。 二十年毎に建物を一新する理由は定かではないが、 建築や伝統技術の継承のためであるとする説や、 清浄さを旨とする神道の性格からであるとする説、 または、茅葺き屋根や、礎石を用いず柱をじかに建てる建築様式から、長年の使用に耐えないためとする説などがある。 さて、神宮に詣でて感じたのは、 金気が少ない、 ということであった。 屋根や扉等には飾り金物が用いられているものの、 神社にはつきものの、あのじゃらじゃらした鈴もない。 ほとんどは白木で造られていて、簡素で、また力強い。 ものは全然違うが、何故か私はパルテノン神殿を連想した。 #
by fracoco-Y
| 2008-11-25 19:47
| journey
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